top of page
執筆者の写真Kiyomasa Yosimura

方眼ノートトレーナー取得

更新日:2021年12月11日

徳之島の子どもや大人達がイキイキと暮らして行くには?


私は約3年前にNPO法人UNiSONを立ち上げ発達支援事業所(キノコにじいろクラブ)を開設しました。



以前は島の病院に勤めながら怪我や脳梗塞などをした方のリハビリや、スポーツ障害予防の活動をしていました。 スポーツ障害予防の活動を行う中で、学校では発達障害の子ども達の支援に困っているという話を多く耳にするようになり、妻は音楽療法士であり島で重度心身障害者の方々の支援を行っていた関係で、作業療法と音楽療法を組み合わせた事業所を令和元年5月にキノコにじいろクラブを開設することにしました。 事業所を開所時は子ども達5名からスタートし、一月に1〜2名ずつ増員、1年で約20名。スタッフも4名→5名へ。


開所して半年後に飛騨市で発達支援をされている作業療法士で方眼ノートトレーナーの山口清明氏に技術指導と方眼ノート講習を受けることが出来ました。 方眼ノートの講習で書いたテーマは


「島の困っている子ども達に支援の輪を広げて行くには?」


その結果・・・

方眼ノートを書いた日から物事が一気に動き出し、現在は子どもの登録は約90名 職員も5名→18名(非常勤含む) 書いた内容以上に物事が動き出し、頭の中の物がさらに加速して行く感覚が・・・。


なぜそこまで変化したのか?


それは全ての業務に関して方眼ノートを取り入れたこと⤴️


・職員の伝達スピードが増し、手渡し力がUPした

・保護者との面談がスムーズに進むようになった

・問題点をしっかりフォーカスでき、そこから解決策すぐに見つけられるようになった

・記録を書くスピードが速くなった

・振り返り、フィードバックのスピードが何十倍も速くなった

・講師依頼が増え先生方に発達支援の原理原則が手渡しやすくなった

・一度の話し合いで伝わる頻度とスピードが増した(会議2時間→20分に短縮)





それ以外にも効果がたくさん出るようになりました。

結果今年は第一回徳之島子ども支援学会を開くことができ、これも方眼ノートで話し合いを重ねた結果実質2ヶ月で準備することが出来ました。



私自身小学校では文字がうまく見れず、字もうまく書けない、人前に出ると手が震え、気持ちの乱れもかなり激しく癇癪やドキドキの繰り返し。勉強もかなり遅れ、コンプレックスの塊でした。高校時代野球ではイップスで悩み円形脱毛症も経験。 18歳で母の病気の関係で知った作業療法士という仕事を目指すことにしました。


資格取得後は精神科や一般科のリハビリを経験し、徳之島に戻ってからは「島から甲子園」という思いでスポーツ障害のサポートを行っていましたが、高校生だけをサポートしていても変化は出せないと思うようになり、現在は未就学児・就学児童の子ども達のサポートを通して保育所や学校に入ることができるようになったので、支援を必要とする子の関わりを通して他の児童にも発達のお手伝いが出来るようになりました。 小さい頃からの積み重ねが将来大きな変化を生むかもしれない。徳之島全体で大きな夢を実現できるように、私は発達支援を通して子ども達や先生方がイキイキと暮らせる地域社会が達成できるよにお手伝いしていけたらと思います。 不器用な私が、少しずつ人の役に立つことが出来きるようになったのは、方眼ノートを手にしたことは本当に大きな転機になりました。 色々な悩みを持った方が自分自身を好きになれるように、これから自分の力でさらに人生を切り開いていきたいという方に是非手に取ってもらえたらと思います。











閲覧数:57回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page